書の時間

ここ2,3年になるだろうか。
この時期、写経をしている。
書道を習っている母から、お寺にみんなで納経するからあなたもどう?と誘われてのことだ。
なぜか、いつからか書に興味がある。
お習字は小中学校でやっただけで、ほぼ右も左もわからない。
ひとつ覚えているのは、何かの美術展で、飾られている書を見て、異様に心が躍ったことだ。
もう目が離せない、ずっと見ていたい、そう思った。
SNSに上がっていた友人の投稿から、般若心経の写経を朝やっていた時期もあったっけ。
この頃は、本にわかりやすい解説があって、書いている意味もふーんなんて思いながら読んでいた。
今も、写経している内容や意味はお手本を共にもらっているのだが、正直ほとんど興味がない。
意味がわからないくらいの方がかえって良い。
ただ無心になって筆を進める。
全然上手じゃないし、あれまーっていうくらいだけど、それでもいいやって。
書の魅力って何だろう?
なんだかわからずやりたいって思って、やってみると清々しく、筆で文字を書くということが心地よい。
そもそも筆でなくても文字を書くということが心地よいと感じるところがある。
それも意味なんてなくて良い。ない方が良い。
ただ無心になる心地よさなのだろうか。
心地よいに意味なんてなくていい。そういうことかな。
そういえば、少し前まで心がザワザワしていたのに、今はすっかり落ち着いた。
今だけじゃなく、書を生活に取り入れてみるっていうのもありかもな。