怒りを大切に

先日、ちょっと怒ったことがあって、
その事について話せる相手に聞いてもらったりしている。
怒りをわかって欲しいのではなく(それもあるかもだけど)
その中に私の大切なものや、発見があるように感じているからだ。
そして今日の気づきは、
私はいつも、怒った相手に何か言うのではなく(相手を責めることではなく)
自分側で処理して解決しようといつも努めているということ。
これは相手の問題ではなく自分の問題だと捉えてしまう。
もちろん、相手に何か伝えるべき時もある。
そして、それ自体も苦手である。
だからこそ、自分だけで解決しようとするとも言える。
今回については、全くもって、相手に何か伝えることで上手くいくようなこともないし、
そもそも相手を責めることは違うと思っている。
でも怒りはある。
感情は良い悪いではなく正直に、ただある。
このただある感情を自分で処理する方法が、わかるようでわからない。
「怒りがあるんだね」と声をかけ、
「それでいいんだよ、大丈夫だよ。怒ることは正当だよ」と伝える。
それで、しっくりくるかと言えば、うーーん、、
イエスとは答えられない。
私はそもそもちゃんと怒るということが決して得意でないのだと気づく。
私の怒り。それは大切な大切な感情だ。
こんな大人になって今になってありなのか?という気もするが、
自分の怒りをちゃんとちゃんと気づいて感じて拾い上げよう。
自分で拾い上げられて始めて、
「怒ったんだね。それでいいんだよ。」その声が届くような気がした。
自分がちゃんとわからないものにいくら寄り添っても届かない。
だから、私の「怒り」をもっと大切に扱おう。
また一段、腑に落としたような気がした。