イライラという道標

今日はちょっとイライラしている。
イライラという表現がピッタリ合っている訳ではないが、ネガティブな感情が揺さぶられているのは確か。
あるコーチングを受けて、そこで生まれた気持ちだ。
ただ以前であれば、コーチングでこんな気持ちになるなんて、酷いコーチングをするもんだ、そんな風に考えた。
そういう気持ちも今もないわけではないが、ここで生じた自分のこの反応をキチンと受け止めようという気に今はなっている。
コーチは何も変なことを言ったわけではない。
至極シンプルな質問を投げていただけだ。
この時間どういう時間にしたいか。何を話したいか。どうなったら嬉しいのか。
そんな質問に私は苛立った。
苛立ちを敢えて隠さなかった、というのが正しいかもしれない。
それなりにもう何度も話している相手なので、私の気持ちをそのまんま出すことにした。
普通の私であれば、そういう気持ちを奥に隠して無いふりをして、相手に合わせてその場をやり切ろうとする。
それをしたくなかった。
終わった今だから、こういうけれど、その時はそこまでは考えてなかった。
私の無意識がそちらを選んだと思う。
そして、このイヤな感情を見せて苦しいということを露わにした。怒りのような抵抗も見せていた。
ただのシンプルな質問に何がそんなに苦しいんだ。私は。
でもそれが本当は苦しいことを今は知っている。
自分がどうしたいか分からないことが。
だからこそ今それに対峙しようとしている。
今日はただその私の現地点をコーチにまざまざと突きつけられた。そんな時間だった。
わからない状態からは、一歩も前進してはいないけれど、こうして受け止められることが大きな前進だ。
自分のこの気持ちは私に必死に何かを伝えている。
その声が前より近くなっている。
いや、近さではなくてその声だけが私の頼り、道標になっていることが、わかってきた、そういうことだ。