私の巣

baby

10年以上ぶりに実家に泊まった。
同じ都内で行き来できるし、ウチに愛犬がいることもあり
母にウチに泊まってもらうことはあっても、こちらが実家に泊まることは長らくなかった。

昨夜、母が体調が優れず救急車で近くの病院に運ばるという騒動があり、
駆け付けたというのがそもそもであった。
幸い、何も大きな問題は見つからず、おそらく疲れが溜まったからだろうという結論で
とはいえ、まだ気持ち的には不安もあるので一緒に実家に付き添って帰ったのだった。

これまでも時々こういうことはあって、大事にはならず帰宅というパターンで、
今回も何事もなかったのは有難い。
そういえば、今まではこの流れで泊まることはなかったのだっけ?
あれ、10年ぶりというのはウソかな?
まあ、それは何でもいいとしよう(笑)

母と家に戻り、ひと段落して、私の即席寝床を作った。
そもそもウチは狭いし、母は現在ひとり暮らしで、一人仕様に使っているので、
私の部屋はすでになく、居間に布団を敷いた。

普通に考えて、どうしたって寝心地が良い環境ではない。
布団の横はテーブルの脚だし、頭の上の部屋の仕切りは外されオープンで
キッチンがすぐ続いている状態。

普通であれば、気が休まらないだろうところ、
なぜか私はとても落ち着いていた。
かえって安心していた。

母に何事もなかったということもあるのだろうけど、
今までのこともあり、たぶん大丈夫だろうと踏んでいて
母の安心のために行ったくらいで、正直そこまで肩を撫でおろしているほどではなかった。

この歳になって、そう思うのかと不思議なのだが、
それは自分の巣にいる安心感のようなものを
身体が、細胞が感じているのではと思ったのだった。

いや、今だから感じられたことなのかもしれない。
自分が楽しい時って?イライラしている時って?今のモヤモヤって?
最近、自分の感じていることを、自分で見つめ言葉に出してみようとしている今だから。

私は母から生まれたという事実。
私のルーツは母にある。
身体が安心する場所。
それを感じられたことをここに書き留めておきたかった。

そういう場が自分にあることに
感謝を込めて。


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