共感性との付き合い方

クレマチス

私はストレングスファインダーでいう共感性の資質を3位に持っている。
相手の気持ちを感じ取ったり、自然と気持ちに寄り添うというのはデフォルトにあると思う。

こういうと優しい人だと思われるし、確かにそのように私を表現する人は多い。

でも私はこのことで、逆に自分自身が薄情だとか人でなしと感じ、
苦しい思いをしてきた。

はじめは反射的に相手のことを思う。
そうして心を相手に使い、相手のために自然と動いていたり、
どうしたら助かるかとか、喜ぶかとかそんなことが頭を巡る。

ところが、途中であれ?となる。
相手中心に物を考えすぎた後、急に我に返る。

相手のために考えたり、動こうとしていることが、「しなれば」となっていることに気づく。
そして「しなければ」なので、それが苦しくなる。
その時にはすでに自分が疲れてきている。

最初は気持ちよく動いているのに、途中で嫌になってしまう自分がいる。
そして相手のためにやりたいと思ってやっていたはずなのに、
それが苦痛と感じる自分に罪悪感を感じてしまう。
なんて、薄情。人でなし。

たいていはこういうパターンだ。

以前はそれをちょっと無理してでもやっていた。
もしくは無理が効かなくてできない自分を責めていた。

だから結構苦しかった。

最近はこのパターンに気づき、自分が苦しいなら手放そう、
となるべく引き下がるようにしているし、
自分を責めないように気をつけている。


昨日、急にふと思った。

これって単にスタミナの問題なのでは?
そもそもスタミナないわけだし。

自分のキャパを越えるから苦しくなる。そりゃそうだ。
人ができることって有限だ。

スタミナと言っても、心と身体と両方ある。

相手のために心を使って疲れてしまっている。
しかも、私にできることと、できないことを混同している可能性は十分にある。

相手を思った時に、そういう境界線を見失ってしまう傾向が
私には強くある。

境界線を越えた時点で、それは私が立ち入れない相手の問題で、
立ち入ったところで最終的にお互いのためにならないことだ。
これもある意味私のキャパオーバー。

そしてそれと同時に体力的にも私のできることは限られる。

疲れたなら、しっかり身体を休めることを優先しなければ
かえって問題を悪化させかねない。

そう、私は今どの地点にいるのか、もっと俯瞰して見てみよう。

私はキャパオーバーじゃないですか?
そう自分に問いかける。

自分の立ち位置を確認し、自分自身にもっと心も身体も使う。

そもそも自分にしっかりできないことが
他人に対してできるわけないよね。

何度も立ち返る場所ではあるが、
また改めて思ったのだった。

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