気づいてもらえるということ

最近、自分の感情にフォーカスするワークをYouTubeを見ながらやっている中で、ある私の、子供の頃の寂しかった感覚、状況が浮かび上がった。
周りにみんながいる。
家族だったり、保育園のお友達だったり。
その中で私は不安でいる。
みんなは楽しそうにしているのに、私はそれを遠目に見ている。
自分だけなぜかその中には入れない。
何が楽しいのかわからない。内容も気持ちもついていかれない。
寂しい。
でも、みんなは自分たちのことに夢中で、私のその気持ちにはまったく気づかない。
どうしたらいいかわからない。
誰も気づいてもらえないから、また寂しい。
誰も私の気持ちはわからない。
そして私はとうとう泣き出す。
めそめそシクシク泣き出す。
そうすると、周りの人が私に気がつく。
あれ、泣いてる。
なんで???
どうしたの??
この子泣いてるよ。
心配というより、驚いている。
ただただ????の状態。
そして、みんなの気分はずっと楽しかったから、その空気はまだ維持されている。
何で泣いてるんだろうね?って明るく言っている子もいる。
笑ってる。
別に私がバカにされているわけではないけど、空気感がみんなと私では全く違う。
私はひとり寂しくて泣いている。
違う世界にいるようだ。
泣いている私が変。
みんなと違う。
私はみんなの楽しい空気に水を差す迷惑な子だ。
誰にもわかってもらえない寂しさ。不満。
それと同時に、自分はダメな子という劣等感。
以上が私の記憶にある情景、感覚だった。
そして、その感覚は今も身体にある。
一昨年、コンパションの講座に参加して、開催者である石村先生と講義後の質問タイムに独り残って、色々話していた中で、私の中にあるその解決しきれない何かを指摘された。
その時言われたことは、私にはちゃんと飲み込めはしなかったのだが、ただ私は「気づいてもらった」という風に感じた。
私の何かに。
子供の頃から、誰も気づいてもらえなかったもの。
私の気持ち。感覚。
それが何なのか自分自身でも掴めずにいるのだけれど。
1年間カウンセリングを受けても、未だスッキリしたわけでもなく、ずっと迷路にいるままのような気もしている。
キツイこともたくさん言われたし、ずっとダメ出しされているような気分だったし。
それでも続けてきたこと、それでもこの先も続けた方がいいように感じていること。
私はその私の何かに「気づいてもらった」「わかってもらった」
それがとても嬉しかったからなんだ。
この人はそれを知っている。私の痛みに気づいてくれている。
誰にも気づいてもらえなかったものに気づいてもらえた。
それが嬉しいんだと。
今それがわかった。