虚像との付き合い方

つくづく、私は人からどう思われているか、ということに
いつも焦点が当たっていることに気づく。

人と接した後、特に少し自分が注目される立場に立った後
(何かの幹事をやったとか、人前で少し話したとか、その程度で
実際は、たぶんそれほど大した注目を浴びてはいない。。)

何とも言えない感覚に襲われる。

ちょっと苦しかったり、ドキドキしていたり。

それはあくまで感覚で、言葉にまでなっていないのがほとんど、
ということにも気がついた。

自己批判の言葉として認識すれば、言葉で対応できる。

そう思ったんだね、とか。本当に?とか。

その思いを言葉で確認することもできるだろう。

それが感覚だと、わーなんだこれ。どうしよう。

とジタバタしだす。

でも最近フェルトセンスという捉え方を覚えたのだ。

しかも、今回の傾聴講座の宿題がフェルトセンスを意識しようというものだ。

あー、こういう感覚があるんだ。

どんな感じ?どんな感覚?それはどこで感じる?

何か訴えている?

何を意味している?

何か必要としている?

私は息苦しかった。

呼吸が必要だった。

温かさが欲しかった。

それにこれは虚像でしかないことがわかった。

実際は、優しい言葉をちゃんともらっている。

それが事実だ。そっちが。

虚像に巻き込まれないで、事実の方に目を向けよう。

そうしてその虚像はそこにあるんだね、と認めてあげよう。

私に大切なものを教えてくれているはずだから。

身体が教えてくれることを信頼しよう。

私はここにいる。ちゃんと安全な場所に。

しっかり深い息もできる。

そうやって自分を落ち着けてみた。

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