仮面の下

陰キャ、陽キャという言葉がある。
暗い子、明るい子。内向的、外交的。
そういうことなのだけど、いずれにしても世で生きていくには後者に利があるように思う。
とはいえ、こんな大人になった今、本当にそんな利ってあるだろうか。
そうでもない。
勝ち組、負け組。そんな言葉もあるが、陽キャだから勝ち組とは限らないし、あ、でもこう言いながらもやっぱり陽キャの方が生きやすそうだな、と結局戻ってしまう。
私は、陰キャのくせに陽キャぶって生きてきた人だ。
結構上手に生きてきたと自分では褒めてあげたいくらい。
でも、ぶってるだけだし、つまり隠しているということ。
そして、未だにその自分の陰キャを認めきれてないんだなーということに気がついた。
そりゃ、生きずらいわけだ。
ずっと以前、心理学を学んだ友人から内向的か外向的かという簡単な判断として、
教室で退屈な授業を聞いている時に寝てしまうか、何か思いに耽るか?という問いを受けた時、私は間違いなく内向的だと思った。
どちらが良いわけでもないのに、内向的な子は無理を強いられがちだよね、というようなことを言ってくれて泣きそうになったのを覚えている。
そして最近は内向的な性質に光を当てた書籍などもあって、それらを読んでとても救われた気になった。
今は、私は内向的です。とは堂々と言える。
でも陰キャとは自虐じゃないと言えないな。
私はそれを恥ずかしいことだと思ってしまっているのだ。
そうじゃない、と頭ではわかっていても。
こんな自分を心が受容していくために、今ももがき続けている。