白旗

最近、カウンセリングトレーニング初級講座を受け始めたのだが、その中でパーソナリティ診断というのを宿題に課された。
10種類あるパーソナリティ障害のうち、どの傾向を自分が持っているか、自己理解を深めるためである。
障害はなくとも、皆それぞれ何らかの傾向は持っている。
診断によると、私は依存性パーソナリティと回避性パーソナリティと強迫性パーソナリティが該当する。
この傾向は普段は問題なくともストレス下に置かれた場合に現れるようだ。
わかる気がする。
その後、自分のカウンセリングでこの話題に及んだ。
私はこのパーソナリティ障害について気になって本を読み出したところ、回避性について酷く響いてしまい、私は回避性の傾向を強く持っているんだと受け止めていた。
が、先生の見立てによると、私は依存性が主で回避性がそこにサブ的にあるだろうとのこと。
そっか。
確かに依存性については自分で自覚している部分が結構あったのだが、回避性は新たな発見であったため、そこに注目し過ぎてしまっていたのかもしれない。
先生のもあくまで見立てなので、妄信する必要はないのだけれど。
それは置いておいても、こういう自分のパーソナリティの傾向がわかることで、人はようやく自分について腹落ちしたりして、スッキリしたりすることはよくあるという。
それを聞いて私は思う。
私は別にスッキリもしないし、楽にもならない。
ただ確かにそうだな、という納得感はある。
納得はするけど、それだけだ。
何か問題が解決される訳ではないし、悩みや苦しいと思うことは依然としてある。
これは今までにもよく思ってきたことだ。
例えば、ストレングスファインダーは私のコーチング仲間では共通言語で、勉強会もよくあるし、私も興味深く参加している。
そして、そこでもよくこんな風に聞く。
ストレングスを知って本当に良かった。とても楽になった。ストレングスが大好きだ、など。
そこにいつも私は何かしっくりこない。
そうなんだ。いいな。でも私はそこまでは感じられない。。。(悲)
他にもHSPの資質についても同じことを思う。
自分がそうだと知って、そういう人が他にもいると知って楽になったなど。
そんな話を今日、コーチ仲間との相互セッションで話ながら思った。
結局は、自分がどういう人間なのかを良くも悪くも受け止めるということなのかもな、と。
私は先のパーソナリティの傾向にせよ、ストレングスの資質にせよ、何の異議申し立てもない。
確かにそうだと思うし、ストレングスの資質などは結構自分の愛おしい資質だとも思っている。
それでも、もっと違う何かを、もっと苦しくない何か違うもの、違う資質、傾向をただただ欲しがっている。
納得しているようで納得していないようだ。
受け止めるという優しい言葉よりも、自分が自分であることに白旗をあげよ!という方がいいかもしれない。
もう私はどうしたって私。
こんなこともあんなことも、ウジウジもグルグルも。
開き直れ!
そういうことなのだろうか。
こんな事を考えながら、今もただグルグルモヤモヤしている。