私のために

以前はジャーナリングや瞑想をある程度習慣化していたのだけれど、
最近はどうもめっきり出来なくなっていた。
15時のマインドフルネスの会というFBグループには入れて頂いていて、5分前にはアラームもセットしてある。
毎日これが手元でブルブルするのだけれど、長らくスルーしっぱなしだった。
ほんの15分、ガイドが入り瞑想ができ、参加している時は、
このリセットタイムがとても良いと思っていた。
ジャーナリングにせよ、瞑想にせよ、やればいいのはわかっているのに、
どうも他のことが気になって、後回し後回し。
そのうち、やること自体、なんだかとても億劫になってしまった。
そんなところ、昨年参加していたコンパッションフォーカストセラピーの講義録画を見直し始めてみた。
今受けている私のカウンセリングの先生が開催して下さった講義で、
「再度見直すと学びが全然変わってくると思いますよ」
と言われたからだ。
この学びについては、また別途書きたいのだが、
その動画を見ることで、改めてマインドフルネスの時間を持つことが私にとってとても大切だなぁと
思い直した。
なんだか、億劫だな。面倒くさいな。という気持ち。
それはそれで確かにあるのだけれど、良く考えたら、だってこれ「私のため」に必要な事だ。
そうだよ。「私のため」
なんかそう思ったら、やらなくちゃって思えた。
私を大切にする。私のためにやってあげようと。
なんだろ、これ。
視点の転換とも言えるのかな。
私を、もうひとりの私が見て言っているような感じ。
誰かのためなら俄然力が湧くように、私のために力が湧いてきた。
というわけで、私のために、ジャーナリングと瞑想を再開してみました。