親子の愛と義務感

今日は母の白内障手術。
2週間前の左目に続き、今回は右目。
手術前後、点眼薬3種も何度も差さなければならなかったり、
準備やら色々面倒くさいのだが、今回は2度目なのもあり、
スムーズに行った。
無事手術も終了し、母とランチをして帰宅。
色々状況も踏まえていたのもあってか、前回より母の疲れも軽減されているようだ。
母も私もホッと肩を撫でおろしている。
病院の付き添いは、これまでも時折するのだが、
帰りにはいつも母がお礼を込めてか、美味しいランチをごちそうしてくれる。
母とそうやってゆったりと、いつもよりちょっとだけグレードアップしたお店でランチをするのはもちろん嬉しいし、
せっかくのその気持ちにいつも甘えさせてもらっている。
そうしてふと思った。
私は娘として、母にできることはしようと思う一方で、
親だからしなくてはいけない、という義務感のようなものがあることを
今は自覚している。
心の中に実は面倒くさいなーという気持ちがしっかりとあること。
かと言って、やらないということは罪悪感に苛まれてできない。
親は子供に無償の愛を注ぐと言う。
私は親になったことがないし、もうなることもないし、
それを体感することはできない。
ただ母や亡き父、義理の両親、友人、それ以外でも「親」というものを見るたびに
そういうものなんだということは感じることはできる。
一方で親は親で、親としてこうしたい。親だからこのくらいしたい。
もっと言えば「親なのだからこのくらいしなければ」
というように、子供の「親孝行はするもの」と同様な気持ちも実はあるのではないか。
そんなことを思った。
別にだから何が言いたいのかはわからない。
義務感があろうとなかろうと愛情は感じるし、
親でも子でも、みんながそうかはわからない。
まして、私の母がどうなのかも、そんなことは私には結局はわからない。
私の中にそういうものがあるから、そう感じてしまっただけかもしれない。
ただ、私自身はそういう隠れた無意識に目を向けて自分の心に正直になりたい、
いや正直になる以前に、まずは気づいてあげたい。自分の心に。
ただ、そう思っているからこんなこと考えているんだろうな。