母の付き添いをして感じたこと

今日は母の病院の付き添い。

来月、白内障の手術をすることになり、手術前の説明を一緒に受けた。

母は耳があまりよくないので、大切な話を聞かなければならない時は大抵同行を希望する。

でも今回は事前に先生からも些細なことだったが、問い合わせを受けたり、
家族の同伴を希望している様子が感じられた。

なんとなく、あーそんなもんかー。
無意識に近いレベルでそんな感覚は持っていた。

私がそもそもよくわかっていなかったのもあるが、
白内障の手術って高齢になると大半の人がしているイメージがあり、
結構簡単に考えていたのだ。

でも考えたら手術は手術。手術だもんね。

そして今日、色々話を伺って、家族同伴の意味がよくわかった。

手術自体は、確かに難しいことではないのだろうけど、
前後の注意点が何気にややこしい。

日帰り手術になるので、数日前の診察があり、
手術前、数日間の点眼薬、当日の点眼薬、手術後からの点眼薬、薬、などなど。

薬の分別がまずは面倒くさい。
しかもデリケートな目のことなので、間違うのは確かに怖い。

私が聞いても一気に把握は難しく、母のような高齢の方々ならパニックに陥るレベルだと思った。

そういえば考えたら、白内障とはいえ、母が手術するって初めてだ。

それだけ健康でいてくれたってことが、すごい有難いことだなぁ。

80歳を越え、さすがに高齢になってきた母は、おかげ様で基本元気とはいえ、
手術に限らず、色々今日のようにフォローをすることは多くなってきた。

正直を言えば、私は大抵、そういう時は心の中では「面倒くさいなー」って思っている。

親不孝者だとは思うけど、それを承知しつつ、確かにそう思っている。

ただ、母と一緒に時間を過ごして、結果としてイヤな思いをすることは一切なく、
逆に言えば、親不孝な思いを持つ自分に対して罪悪感というモヤモヤがうっすらと積もっていく、
そういう感じだ。

今、帰ってきて思うこと。

私がどんな思いを持とうが、過ごす時間は母という人の有難さが私の身体には沁み込み、
そういう人が母であるという私は、やっぱり恵まれている。

だからこそ、と言うのかわからないけど、
私は私を生きるために、このモヤモヤを晴らしたい。

こんな有難い母にも、私は今もわだかまりのような何かを持っている。
ただそれは母に対してではないことは頭ではわかっているのに、
でも何か解消しきれない私。。。。


有難さとモヤモヤの共存。
そんな自分を今日また感じたのだった。


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