私が決断する私

「生きるとは決断の連続だ」
とはよく言うと思う。
決断する機会はいくらでもある。
今日何食べよう?何着よう?という日常の小さな決断。
そして、進路を決める、住む場所を決める、仕事を決める、など、
人生でのそれなりの大きな決断。
色んな決断はあるけれど、実際の私はどれだけ決断をしたのだろうか。
何らかの決断があって今があるのだろうけれど、
かと言って、決めた!と言えるほど、自分の意志を確認したかはわからない。
いや、わからないではなく、もっと何となく、こんな感じ??で
自分の意志というよりは、世の中にこれなら沿うであろう、
いらぬ空気を読んで、空気を読むことでしか、決断できなかったように思う。
なんか他人事のような、自分の決断とは少し離れたところにあるもの。
それが、私が自分を生きているという感覚の欠如に繋がっているのだと
ようやくわかってきた。
こんなこと何度も聞いているような気がするけれど、
何週も廻ってまた今ここに。
中でも一番わかりやすいのが、何にお金を払うか、ではないだろうか。
どういうお金を使うのか。
それだって、払いやすい金額、払いなれたものには、使うけれど、
いざという、本当は欲しいものに使えないということもある。
それは、ちゃんと決断してこなかったことの代償といえるかもしれない。
目の前にいくらでもある決断すること。
ちゃんと向き合っていこう。
今、改めて。