体調悪い日に馳せる思い

昨日はワクチン副反応により、一日身体が重くしんどく
ほとんどベッドに横になっていた。

こうして体調が悪くなり身体のしんどさを感じた時に改めて
普段の健康な自分の有難さを感じる。

そして具合の悪い人ってこういう思いをしているものなんだということも
つくづく感じるのだ。

私の父は肺がんで68歳で亡くなった。
もう20年近く前のことだ。
病気がわかり亡くなるまで、半年もない、あっという間のことだった。

その間、母と姉と私の3人で懸命に看病をし、
亡くなったことはどうしようもなく悲しいことだったけれど、
それでも最悪の中の最善を尽くしたと、みんなでその後話している。

ただ、自分が具合が悪くなった時によく父のことを思う。

父が自宅療養している間、いや入院していた時もそうだったかもしれないが、
父の部屋に顔を出すとき、私はいつも
「調子はどう?」と聞いていた。
まあまあだとか、そんな風にも答えていたかもしれないが、
ある時「調子がいい訳ないだろう。そんなこと聞くな。」と言った。

決して不快を露わにして言っていた言葉ではなかった。
ただ、いいと答えられない投げかけをされても
困り果てて出た言葉だったと思う。

私はその時、病気、特にガンという病気を
本当の意味でよくわかっていなかった。

主治医の先生に
「普通の人が何十年かけて年をとって最後を迎えるのを
お父さんは半年の間に駆け足で迎える、そんな風に思って下さい」

そんな風に説明してもらったのだが、それも見送ったから、後になってから
ようやくその意味がよくわかる。

父に「そんなこと聞くな」と言われた後も
私は「調子はどう?」と聞いていた。

聞かずにはいられなかった。
少しでも良くあって欲しかったのもあるし、ツラいならツラいで
それはそれでちゃんと聞いてあげたかった。

今私がちょっとぐらい具合悪くたって、
そんなの比べ物にはならないものなのは、よくわかっている。

ただそれでもいつも思う。
こんな風に身体が辛かったんだね。
毎日身体がしんどいってどんなに辛かっただろうって。

実は今、遠い海の向こうで
抗がん剤治療をしている友人がいる。

何もできない自分がもどかしい。
そばにいても何もできないかもしれないけど。

身体にしても心にしても人の痛みに寄り添うって、難しい。
私にできることはなんだろう。

簡単に答えがない中、ただ父や友人のことを思う。



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