相手への共感 自分への共感

ディル

共感性についてまた書いてみたい。

共感性が高いと、関わっている相手がどう感じているかに自然に敏感に反応する。

相手がもし心地悪かったり、気分を害していたり、困っていたり
そういうことを感じ取ってしまうと、もうその状況がたまらなく嫌なのだ。

なので、それをフォローしたり、少しでも良い状態にできることをしたいと
もう反射的に行動する。

もちろん、状況や相手次第で、したくてもできないこともあり、
そういう時は、その場にいることが私にとって大変心地悪いと感じる。

一方で、その場では無意識だけがキャッチして、何となく何か感じるのだが、
それがよくわからないまま、時が過ぎ、事が終わる。
後になって、その何となく感じ取っていたものが、
モヤモヤとなって私を襲うこともよくある。

時間を置いて俯瞰できると、そのモヤモヤの全貌がだんだん見えてきて
もっとああしたら良かったかなとか、
あの時、誰々はなんかイヤな気持ちや寂しい気持ちだったんじゃないかとか
そんな余計な事を考えてしまうのだ。

この後になって、出てくるモヤモヤについては

今、何か出来ることがあるのか。
あれば、行動に起こすことでモヤモヤは解消できるかもしれない。


または、今できないとしても何が出来たら良かったのか。
と考えれば、次回の教訓にできるだろう。

ここまで考えてみて、気になることがある。

相手のことを思ってできることがあれば、それはそれでいい。

相手が良い気持ちでいれば、私自身がとても心地よい訳で、
そうでない状況が私はイヤなのだから。

だけど、もうひとつ。
私はどうなのだろう?

私は相手の気持ちを汲み取れなかったことで、
モヤモヤして自分がどうすれば良かったのだろうとばかり考えてしまう。
その場で気づいたとしたら、
相手が良いようになることをきっと優先してしまう。

それがいいと思っている。

どこか無意識で、少しくらい自分が我慢してもいいと
思っているようなところがある気がする。

それが無意識だから気が付かず、積もってきた時に
後になってあれ??となるんだ。きっと。

私が何となく感じるモヤモヤ。

相手の感覚に対するモヤモヤばかりと思っていたけれど、
その中には自分自身の無意識の我慢も
もしかしたら入っているかもしれない。


共感性というと、相手との関係においてのこととばかりと思っていた。

行き過ぎてしまう共感性のコントロールが課題と思っていたが、
私が持っているこの共感性という資質を、自分自身に対し発揮していくと考えると、
もう少しいい道が拓けるのかもしれないな。

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