ちっちゃくなんてない

砂浜

今年入って私は少しだけ自分の前進を感じている。
少しだけと言ったけど、これは謙遜でもあり自分にまだまだと言っている声でもある。

自分の「前進」ついて書こうと思ったけど、思い直して
その前にこの「少しだけ」についてまずは書いてみようと思う。

先日コーチ仲間とのセッションで、クライアントとなった私は
この自分の「前進」について、
ちょっとだけ、ちっちゃなことなんだけど、と私は何度か言っていた。

これってその時だけの言葉では話ではない。
私にはしょっちゅう出てくる言葉だ。

その時のセッションの話の内容は、その前進の話も含めもっと大きなテーマまで
あっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。

そして話がだいぶ落ち着いた頃、コーチが入った。

「さっき、”ちっちゃなことだけど”ってMaiさんは言っていたけど、
それってMaiさんにとって本当に小さなことなんでしょうか。」

少しの沈黙。。
それから、、
「、、、、小さくない。私にとっては本当はとても大きなこと。
でも、人から見たらすごくちっちゃなことに見えるだろうなと思うから
つい、いつもこの言葉を使ってしまっている。」

一瞬ちょっと詰まったけれども、その後すぐに私からスラスラこの言葉が出てきた。
すぐ言葉になる状態で私の中にちゃんと座っていた。

自分の話を他人の目から見た視線で話をしている私。
しかもそれは、人から見て本当に小さなことに映るのかはわからない。
それは私が決めていることだ。

何より大切なのは、私にとっては他から見れば
もしかすると小さいようでいても
実際はとても大切な一歩、大きな一歩だったということ。
その一歩を積み重ねるから大きな一歩になり、
気がついたらここまで来た、みたいなことになるはずだ。

自分の一歩を過小評価する癖。
そんなの手放して堂々と大きな前進と言えばいい。

よく考えれば、私は、友人やクライアントとなる方に対しては
そうやってその一歩を大切に承認することをしてきたつもりだ。
他人に対しては。

まずその前に自分の一歩を認める。
そうしたら他人の一歩も今まで以上にもっと大きな一歩として
認められるようになるのではないだろうか。

これもまた「出来ている、わかっているつもり」の振り出しに戻る日が来るのかもしれない。
そしてそれこそ、また大切な一歩に繋がる。

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